FASIOが生まれるまでの軌跡。
| <<黎明期>> |
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| 平成3年4月。それぞれの想いを抱えて迎えた武道館。 そこに14年後にFASIOを創る3人がいた。 それは、専修大学の入学式。 コンビニのバイトに精を出し、店長を任せられるまでになった鍛治、 ディズニーランドのスイーパーとして充実した日々を過ごす菅原、 進学塾の講師として頭角をあらわす八木橋。 それぞれの学生時代のはじまりは、九段の武道館ではじまる。 八木橋と菅原は同じ学部のクラスメートとなった。 必ずしも満足ではなかった受験結果の悪戯、 入学順で決まる学籍番号のせいで、 最後まで入学を迷った、あるいは待っていたがゆえに出会う二人。 いつしか八木橋の酒の師匠は菅原となっていった。 鍛治と八木橋は授業で出会う。 鍛治は学部が一緒であったため、八木橋と重なる授業があり、 ひょんなことで話しかけ、たまたま知り合ったのである。 そして、それぞれがそれぞれの生活をしながらも、 たまたま同じサークルに所属する。 当初は1学年100名を超える大所帯もだんだんと少なくなり、 気が付けば1学年30人弱となる。 3人が一緒に酒を酌み交わすまで、それほどの時間を要しなかった。 そのサークルは、公認会計士を目指す勉強会である。 酒も飲めばドライブもする。温泉も入る。遊びもするが勉強もする。 志はあくまでも試験に合格すること。 そして、この過酷な試験に3人とも挑むこととなる。 この志がこの時になければ、FASIOは生まれることはなかった。 |
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| <岐路> |
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| 大学3年ともなると、就職活動の心配が出てくる時期だ。 鍛治も菅原もこの時点では会計士受験から目を離してはいない。 八木橋も同様であったが、家計の問題から浪人は許されなかった。 それぞれの決断は、大学4年の時にくることはわかりきっていた。 専門学校と大学との2重生活。 授業料を捻出するためのバイト生活も入れれば3重生活。 このしんどさも、それぞれの志が支え、目標に突き進んでいった。 水道橋・神保町。 今のFASIOが息づく地域は、 どこも3人の学生時代の思い出が詰まった地域である。 しかし。 大学4年で迎えた試験の結果は、3人とも不合格であった。 最難関のひとつといわれる試験である。 現在よりも合格率・合格者数も低く、激戦であったがゆえ、 現役で合格できなかったことは、やむをえないかもしれない。 3人はそれぞれの事情を抱えながら、それぞれの途を行くこととなる。 八木橋は日本生命の総合職として。 鍛治は会計事務所の職員として。 菅原は上場を目指すベンチャー企業の社員として。 それぞれに、卒業後の途を歩む。 そして、その旅立ちは、武道館で行われたのであった。 |
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| <途上> |
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| およそ10年が過ぎたある夏の日。 まだ暑さも爽やかさの残る時期。 そして、これまでの人生を見つめなおす節目の時。 一室に集まった3人はそれぞれの経験を持ち寄っていた。 八木橋は度重なる転勤・異動により、 経理はもちろん、生損保の販売、社会保障の研究、 社内ベンチャーの起業とその会社の経営管理等、 広範な経験を積んできた。 それは社内でも特異な経歴と言ってもよいだろう。 そして、その合間を縫って税理士やCFP等の資格も取得していた。 鍛治は10年間の会計事務所勤務により、 数年後には中心職員となるであろうポジションになっていた。 菅原は、会社内の立場から株式上場を2社成功させる等、 上場を中心に財務分野での経験を重ねた。 まだこの時は漠然としたものでしかなかった。 起業をするという話というよりは、 3人が集まればどんなことができそうか、 10年後の未来はどうなっているのか。 そんな取りとめもない話をしているに過ぎなかった。 そう、これまでの10年間、 時々会っては酒を酌み交わしたことと同じように。 ただ、ひとつだけ。 3人の経験を持ちよることで、 今までの会計事務所やコンサルティング会社とは、 一味違うような事業ができるのではないか。 そのような漠然とした意識がここで芽生えたことは確かである。 まだ、杯を乾かせばまた普段のサラリーマン生活に戻る。 この時点では、途上にすぎなかった。 |
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| .<転機> |
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| 一番初めに転機を迎えたのは八木橋であった。 生命保険会社の職員としてのこれからの将来を考えた時に、 自分自身の経験を活かすことが本当にできるのか、 疑問と不安を抱えていた。 営業の最前線で活躍することも希望している。 経理だけの人材としてずっと生きるつもりもない。 だが、税理士をはじめとした取得した知識や経験が、 営業を経験している間に陳腐化してしまうことを 怖いと思うところがあった。 保険会社の仕事が嫌いなわけではない。 むしろ、この10年の年月は貴重な経験と、 充実した社会人生活を送ってきたと思う。 そして、人にも恵まれてきたという思いもある。 収入も安定しているし、不自由はない。 しかし、将来の自分の姿を考えると、 10年間の経験をもっと活かすことができる仕事があるのではないか。 その思いは、結局いつまでも拭いきれず、 行動に移すこととなった。 日本生命を退社し、浦和で開業。 FASIO誕生のわずか半年前の話である。 |
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| <再会> |
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| 3人が揃ったら…。 その前提を話し合ってから約1年が過ぎた。 その時、それぞれが新たな局面を迎えていた。 八木橋はお客様のご愛顧はもちろん、 日本生命時代の多くの方々からの支援を頂き、 事業規模が拡大していた。 このまま浦和で留まるか、東京に進出するか。 どのような事務所を賃借するのか。人材をどうするのか。 嬉しくも難しい判断をする必要に迫られていた。 鍛治は、前職の事務所から、あるきっかけを元に、 新たな環境で活躍する途を模索していた。 菅原は、果たして今のままの生活を続けていくことが本当によいのか、 自らに問いかけては打ち消す日々を過ごしていた。 1年前の夏に話し合ったことを実現させる。 行動に移す。 既に八木橋が受け皿を作っている状況。 ならば。 あとは3人が再会し、夢を語り合うだけで方向性は決まる。 3人で起業する。 その判断まで、それほどの時間を要しなかった。 |
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…Coming Soon... |
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